『The Last of Us Part II』開発者がネタバレトークを解禁したので感想と照らし合わせる

ゲームの感想

IndieWireのインタビュー記事で、共同で脚本を担当しているニール・ドラックマンとハレー・グロスがネタバレ有りのトークをしています。

※この記事には『The Last of Us Part II』のプロットに関する重大なネタバレが含まれています。

『The Last of Us Part II』クリア後の感想 – PS4ちゃんねる Pro
↑での自分の感想と照らし合わせて読みました。

左右対称の構造(鏡の構造)

まずこれはわかりやすかった。私が感想で、
「エリーじゃない側のキャラクターを鏡のように使い、そこにエリーやジョエルの姿を映し、プレイヤーにも同じような感覚を与える。プレイヤーはエリーやジョエルが好きですから味方をするので、2人の悪事に対しても憎しみを抱きにくいから暴力も罪も軽く見える。だから客観的に見られる鏡を用意したんだと思います。」
と書いた部分。インタビュアーも、
「ほぼ完全に左右対称の構成になっている。ギターのオープニングとクロージングのショットから、アコーディオンのような構成、ジャクソンでの生活とシアトルのスタジアムの間の韻、博物館と水族館、エリーの宇宙への愛とアビーの高所恐怖症などなど。」
と言っています。

つまり、アビーとリブをもう1つのジョエルとエリーとして見せていました。

ニール・ドラックマンは、
「共感性をテーマにしたゲームを作ろうと決めたときには、この感覚を倍加しなければならないと思いました。」
「エリーとジョエルとはすでにつながっているので、彼らを非常に悲劇的な出来事を経験させ、復讐のための探求を見てもらい、次にアビーに移行して、エリーがやろうとしていることをすでに達成していて、それを理解するのに必死になっている人物に続く、贖罪の鏡のような物語を伝えるために、ジョエルを殺して父親の仇を討つことによって、アビーに移行しました」

「贖罪の鏡のような物語」という言葉を使っており、アビーとリブをもう1つのジョエルとエリーに見せている狙いがあったとわかります。

私はPart IIの後に前作を再プレイしましたが、思えばジョエルの悪行は酷いものです。世界を破滅に導くような菌のワクチン開発を妨害し、それを開発できる博士まで殺す。遺物を読むとマーリーンの苦悩が伝わりますし、エリーの母親からエリーを託され、ジョエルよりもエリーとの付き合いが長いマーリーンが苦しい決断をして、同じ苦しみをわかるであろうジョエルに手術の事を隠さず話したのに、最後はジョエルに命乞いをするが虫ケラのように殺される。

現実世界はコロナ禍で世界中が苦しんでいますが、ワクチン開発を妨害し、開発できる博士まで殺すような人は世界中の怒りを買うでしょう。
でもプレイヤーはジョエル側なので、この悪行が伝わりにくい。それと同時にエリーの葛藤も伝わりにくい問題があった。だからこそ「贖罪の鏡」で見せる必要があった。
アビーが冒頭でジョエルをゴルフクラブでボコボコに殴るシーン。「なんで冒頭であのシーンを入れたんだ?」という感想をチラホラ見ましたが、あれはこの構造のために絶対に必要で、プレイヤーにアビーを「絶対に許せない」と思わせる必要があった。これも感想に「プレイヤーはエリーやジョエルが好きですから味方をするので、2人の悪事に対しても憎しみを抱きにくいから暴力も罪も軽く見える。だから客観的に見られる鏡を用意したんだと思います。プレイヤーがエリーじゃない側のキャラクターに感じる怒りは、ゲーム世界の中でジョエルにも向けられているもの。この鏡を使って、本作の最大のテーマを収束させました。」と書いていました。

ジョエルの死が2パターン撮影されていた

驚きだったのはジョエルが死亡する場面で、最後にジョエルが「サラ……」と言葉を発するパターンも撮影されていたこと。なんとジョエル役の声優であるトロイ・ベイカーが「何も言うべきではない」と助言して、何も言わないパターンが採用されたようです。最後の言葉が「サラ……」だったら、エリーもプレイヤーも哀しかったでしょう。

他にもカットになったシーンがあり、エリーがセラファイトの島に行くエピソードと、イノシシを狩るエピソードがあったようです。
博物館でイノシシに襲われたのは、その断片のようです。

エリーがディーナと赤ちゃんを置いて出て行った理由

アビーに2度も見逃してもらい、ディーナと赤ちゃんと幸せな生活を送っていたにも関わらず、また復讐の旅に出た理由。

ハレー・グロスは、
「PTSDが悪化しているので、何か対処しなければ、文字通り生き残れない。このままだと自殺だよ。アビーのための正義というよりも、ジョエルを求めているというよりも、精神的な健康や生き延びるための会話だと思います。もう人としてどうしたらいいのかわからないみたいな」
と説明しています。正義や復讐やジョエルへの愛ではなく、PTSDの悪化だと。

ニール・ドラックマンは、
「エリーがやっと自我と執着を克服できたと思っています。エリーの復讐は麻薬であり、エリーは一種の麻薬中毒者であるという比喩をよく使っていましたが、それが最終的にディーナが去った理由なんです。彼女は『この子はどん底に落ちたのに まだ足りない もう彼女を助けられない』と」
私は「キャラクターの多くを好きになれないこと。私はエリーも嫌いになり、嫌いな主人公を操作するのはちょっとストレスです。」と書いていましたが、エリーの行動は復讐としてはスジが通っておらず、異常性を感じていました。だから終盤は復讐劇として楽しめなかった。復讐が麻薬であり、エリーは麻薬中毒者と言われて納得。
復讐のスジが通っていないと感じた部分。親のような存在を殺されたのは同じ。アビーはエリーを2度も見逃し、恋人でもある妊婦を助けた。エリーは2度も見逃してもらい、気付いていなかったとは言え恋人と妊婦を殺した。エリーのスジの通らなさを強調して見せていたような気がします。プレイ中は違和感を覚えましたが、復讐が麻薬になっていると言われて納得できた。

キャラクターの多くを嫌いになり、映画『アウトレイジ』シリーズの「全員悪人」というキャッチコピーが頭に浮かび、終盤でエリーが小指と薬指を噛み切られる描写は、スジの通らない行動をとったエリーへのヤクザの落とし前のように感じました。『アウトレイジ』でも木村が自分の小指を噛み切る描写がありましたね。
とは言え、ハレー・グロスもニール・ドラックマンもヤクザの話なんかはしておらず、ギターが弾けなくなることで、ジョエルとの訣別を意味していたという解釈で良いのかと思います。

ジョエルを許すエリー

感想で、
「最終的に理解すると、本作のテーマが表向きは『復讐』っぽいものになったのも納得です。先にテーマを考えてストーリーを作ったかと思いますが、本当のテーマは復讐じゃないと思います。ちゃんと前作がベースになっており、前作で残った大きな問題がテーマなんだと感じた。」
と書いた部分。脚本家がPart IIを書くにあたり、いきなりテーマを復讐にするとは思えなかったんですよね。なんでこうなったかと考えると、やはり前作で残った大きな問題こそが最大のテーマだったから。前作のラストでジョエルがとった行動をエリーが許せるかどうか、これがテーマであり、それを描くのに適していた「復讐」と「贖罪の鏡」が用いられたと思った。

これに関してニール・ドラックマンは、
「エリーが否定していたことを示したかったんだ。ジョエルとの関係にぶら下がっていたものが何かを疑い始めたんだ。忘れることができると思っていたが、忘れることができずに、それが彼女を蝕んでいき、一歩一歩、エリーとジョエルの関係は違う結末を迎えたと思って欲しかった。『ジョエルはエリーに嫌われて死んだんだ!』と思って、最後の最後で何か違うことが明らかになるんです。」
インタビュアーの、
「最後のフラッシュバックで、エリーがなぜジョエルに救われたのかを理解し、彼を許すことができるようになるところまで、痛いほどにやってくるというゲームのように感じさせてくれます。」
という問いにハレー・グロスは、
「その通りだと思いますし、彼女がジョエルとの赦しを受け入れることを考えられるようになるまでには、2年かかったと思います。」

このやりとりで答え合わせができたと感じました。エリーがアビーを助ける描写は、エリーがジョエルを許す描写でもあると。振り返ってみれば、ラストバトルでエリーがリブにナイフを突きつけてアビーを戦わせようとする描写は、エリーのために戦ったジョエルを思い起こさせるし、エリーがそれをやる意味も大きい。その理由で戦ったアビーをエリーが許すのは泣ける。
「復讐」と「贖罪の鏡」を使ってジョエルへの許しを描いた。私が感想で書いた「『愛』『復讐』『許し』などのテーマを見事に収束させてピリオドが打てているんだなと気付いて『Sugeee!(すげぇ)』と思えました」と書いた部分、思っていた通りのものだった。ジョエルへの許しも、復讐の連鎖も収束している。

これに関して「プレイヤーに伝わらない可能性も高い。下手したら『復讐なんてアイツは望んでいない』『復讐に疲れた』という感じの安っぽいものと見られる。」とも書きました。アビーを海に沈めている時にジョエルの姿がフラッシュバックしますが、その時点では意味がわからないんですよね。エンディングでその時の会話が見せられて、エリーが「一生そのことは許せないと思う」「でも… 許したいとは思ってる」と言う。それでエリーがジョエルを許す描写なんだなと気付けたし、そもそも復讐の連鎖よりも、前作のラストの問題こそが最大テーマだったんだなとも。

そして前述したジョエルへの許しと、ギターが弾けなくなって置いていく訣別の描写は、濁りもあって良い具合だったと思いました。ジョエルを許すことでジョエルを愛せるわけですが、ジョエルを許すことで訣別もできる。喪失感はあるけど、PTSDの悪化や復讐中毒も終わり、希望も生まれたエンディング。
反面、トミーの存在は痛々しい。ジョエルと訣別できていないトミー、マリアとも別居し、体が不自由になり自分で復讐することもできない。1歩間違えていたらエリーもこうなっていたはず(指の件はそれの暗示もあるかもしれない)。このようにトミーを描く事で、エリーの決断を肯定して見せているのかもしれない。エリーがアビーを殺していても、ジョエルへの許しにはならず、苦しみが続いた可能性が高い。

【追記】鏡の構造を読む難しさ

コメント欄を読んでふと思ったこと。
ネット上に口論はよくあり、それは議論ではなく、お互いに自分の言いたいことだけを言って相手の話を真摯に聞くことはほとんどない。そういうのが当たり前になっている。

そう考えると、本作に用いられた鏡の構造は理解されにくいと思った。鏡の構造だと、アビーとリブの姿を見て、そこにジョエルとエリーの姿も重ねないといけない。でも相手の立場になって考える事や、別の視点で自分を見て疑う事ができない人には、鏡の構造では多分伝わらない。理解したくもない、最初から理解する気もない相手側をプレイさせられるのは、ただただ苦痛のはず。
現実とはかけ離れた凄惨さのある話なので、理解するまではいく必要はないが、相手側の話を聞く余地があるかどうかで、アビー編をプレイしている時の気分の差が大きく違うと思う。そこでストレスが軽度か耐えがたいものかの差が生まれる。ストレスが軽度であれば、キャラクターを嫌いながらもお互いの事情を見比べるくらいの事はできる。耐えがたいストレスは拒絶に繋がり、「アビーをプレイさせるな」くらいの感想にもなるかと思う。鏡も割られてしまう。

鏡の構造が伝わらないと、エリーのジョエルに対する許しも伝わらず、復讐が始まって復讐を止めただけの話になってしまう。

「話が難しい」にはいろんな種類があると思いますが、今回の難しさは多くの人が苦手とする部分だと思う。相手の主張や行動に自分を重ねて自分を見られるような人は多くないはず。

「全力で嫌って欲しい」最高のシナリオ

このシナリオの最大の問題は、ニール・ドラックマンのコメントにあった、
「物語が向かう先、描かれるテーマ、愛するキャラクターたちの結末を好きになれない人もいると思う。“普通だった“と言われるのであれば、むしろ全力で嫌って欲しいですね」(「このゲームが嫌われても構わない」『The Last of Us Part II』制作陣、野心的な企み語る | THE RIVER)
これですね。テーマを見事に描き切っている珠玉のシナリオだけど、これを描き切ることによって嫌われる。評論家であれば「良い」「悪い」で見て、ゲームプレイ+シナリオで100点連発になるのも納得ですが、ユーザーは「好き」「嫌い」で見て、「大嫌い!」になるのもわかる。
評論という観点で見れば「賛」多数で賛否両論ではない。ユーザー側から見れば好き嫌いが激しく分かれるという特性がある。

この点は前々から思うところがあり、私は数年前に「レビュー(評論・批評)」というカテゴリーはやめて、「ゲームの感想」にしていました。良し悪しではなく好き嫌いの個人性を出すゆえ。

レビューボムは別問題

メディア評価が高くなり、ユーザー評価が伸び悩むのはわかりますが、重要な点として、ゲームをプレイしてのユーザーの「大嫌い!」とレビューボムは別問題。

誰でも投稿できるレビューサイトが解禁になった途端、0点を大量投稿するレビューボムの問題は今後も拡大すると思う。まさに復讐の連鎖であり、今回の『The Last of Us Part II』へのレビューボムは史上最大でしょうから、その「返し」もあるかもしれない。前世代、おそらく10年以上前から少なからずレビューボムはあったでしょうけど、それが拡大してきているのを感じます。
それにしても『The Last of Us Part II』の5日で74,462件という投稿数は、過去に例がないほど異常です。大ヒットしている『あつまれ どうぶつの森』が3ヶ月で5,000件、好き嫌いが分かれたであろう『DEATH STRANDING』が7ヶ月で15,000件、今年のPS4で最大級のヒットであろう『ファイナルファンタジー7 リメイク』が2ヶ月で5,000件。どれも0~4点を多く含んでこの数字。5日で74,462件という数字の異常性が見えます。

この件に関してはForebesが記事を書いていますが、英語です。
‘The Last Of Us Part 2’ Is Getting Predictably User Score Bombed On Metacritic

レビューボムの大きな理由を3点挙げており、これはメディアレビューとユーザーの感想の違いでもあると思った。

  1. LGBTのキャラがゲーム内で目立つという点、これを理由にメディアが低評価はできないでしょう。
  2. 多くのユーザーがプロットの転換を好まなかったという点。これも転換したからと言ってメディアが低評価する理由にはならない。ユーザーはジョエルの退場に怒ってガッカリもするが、メディアはそれ自体を理由に減点はしにくい。ファンならば「ファンが好まない展開」なら0点にできるけど、メディアは「ファンが好まない展開」では0点にはできない。
  3. 最初の数時間をプレイしたユーザーの好みに合わなかったという点。これもメディアは最初の数時間で評価しないでしょう。

3つともユーザーなら「0点!」「やらない!」になる可能性があるけど、メディアは減点する理由になりにくい。レビューボムは別問題だと言いつつ、100点と0点に分かれるのが納得できたりもする。
気になるのは「2」で、ネタバレ有りでのメディアの感想や考察を読んでみたい。転換やファン受けの悪さが減点じゃないのはわかるとして、今回のシナリオやキャラクターをどう感じたか、ネタバレに気を使わず掘り下げて書いているのが読みたい。

テーマに縛られ過ぎた

感想に書いた「テーマに縛られ過ぎた感があります」という問題について。テーマとストーリーテリングの構造にキャラクターがハメ込まれて、やや不自然に見えたところもある。漫画などで言う「キャラクターが立つ」というのを感じにくかった。それがキャラクターの魅力を損ねた要因に思う。
上記インタビューで、エリーが再度復讐に旅立つ理由が「PTSDの悪化」というのもピンとこず、「復讐は麻薬」は納得できるけど強引な気もして、天の声によって動かされているように感じた。アビーがジョエルをゴルフクラブでボコボコに殴る描写も構造的には絶対に必要だったのですが、アビーというキャラクターがブレた気もする。エリーは宇宙に憧れ、アビーは高所恐怖症という設定も、鏡に映った文字が逆になるという面白さはあるけど、高所を移動せざるを得ないことが多いこの世界において、アビーが未だに高所恐怖症というのも不自然に感じた(なんだかんだ高いところをピョンピョンしているし)。お腹が目立つ妊婦がミッションに参加するのも、エリーに殺させるためという事情を感じてしまう。トミーとジョエルが都合よく捕まったり、エリーとトミーが2度も見逃してもらえるのも無理がある展開に感じた。
「贖罪の鏡」という手法は上手いけど、そのために生み出されたアビーというキャラクターは浅さも感じ、それがプレイヤーキャラクターになった時に魅力の弱さがある。ストーリーの案内役・解説役としては最高の仕事をしたけど、プレイヤーの気分が乗らない可能性も高く、それはゲームプレイにも悪影響を与える。

テーマを描き切ることで、説教臭さに繋がる問題もあると思う。テーマを伝える技法としては100点なんだけど、開発者の言う「全力で嫌われる」ことにもなる。そして「嫌い」なキャラクターを操作するストレスがゲームプレイの気分を下げる問題は、ゲームとして見過ごせない問題でもある。「それを感じることに意味がある」という感じで開発者が狙ってやっている事がゲームプレイのマイナスにもなるジレンマはあったと思う。
これに関しては是とも非とも言えない。莫大な金がかかったであろう超大作ゲームで、これらに恐れず挑んだ事は偉業であると思う。無難なシナリオなら多くの人に受けたはずですし、それをやる能力もあったでしょう。私は『ペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズ』や『レッド・デッド・リデンプション2』の感想で、ファンディスク的な魅力もあると書きました。シリーズ物としてキャラクターに人気が生まれ、そのキャラクターの活躍や交流を強調して描く。これがパート2やスピンオフで受けやすい手法だと思います。しかし『The Last of Us Part II』は真逆な事に挑戦した。偉業ではあるけど、全力で嫌われることを受け入れる必要があるし、多くのユーザーに嫌われた現実もあるでしょう。
他の人の感想で「最高で最悪」という表現を何度か見ましたが、「賛否両論」よりも上手い言い方だと思った。

ニール・ドラックマンとハレー・グロスのネタバレトークと自分の感想を照らし合わせて、改めて『The Last of Us Part II』の凄まじさを感じた。「最高だ!」「素晴らしい!」という言葉では表現できない凄まじさ。過去のゲームや映画では感じられなかったものを感じられたことに感動している。
ゲームのシナリオだけに関する記事はほとんど書いてこなかったですが、『The Last of Us Part II』はクリア後もシナリオが気になってしまい、まだまだ他の人の感想も気になるほどです。この時点で今までプレイしたゲームの中で別格の存在だと感じています。「心に刻まれた」わけですが、それが必ずしも良いものではない可能性もあり、勝手に彫られたタトゥーのようでもあり、そのタトゥーの意味を気にしているのかもしれない。
心がザワザワしつつも、不世出の大傑作だと思っている。

Part IIの後に改めで前作をプレイすると、エリーのセリフが未来を暗示するように感じられる場面もあったり、ジョエルが命乞いするマーリーンを「また追ってくるだろ」と言って冷たく撃ち殺すのは、エリーとトミーを2度も見逃したアビーにはない生き抜く強さだと感じたりました。前作だけのプレイだと、エリーの母親代わりのようなマーリーンを殺すのはやりすぎに思えたでしょうけど、今作を見ると適切な行為だったようにも思えちゃう。前作の深みも増しました。

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そして感想の最後に「Naughty Dogの次回作は『The Last of Us Part II』のゲームプレイをさらに進化させた新規IPをPS5で出してほしい。」と書きましたが、Part IIIを見たい気持ちが完全に消えてはいないとも気付いた。エリーは執着を克服できたようですが、私は『The Last of Us』への執着を克服できていないようです。

コメント

  1. imony より:

    とても楽しく読ませていただきました。
    僕はちゃんとこのゲームを楽しめたんだと感じて少しほっとしています。
    陰鬱で凄惨なストーリーとエリーの歪な復讐劇で大分ゲンナリしていましたが、
    アビー編をプレイすることで救われました。
    今回モチーフになっている蛾は光を求めて飛び回るアビーとエリーだったのかなぁ、なんて。
    当然粗や批判点、デリケートで触れづらい部分もあるのですが、
    それを超越するパワーを持った作品ですね。

  2. なんこつ より:

    凄いなその見方
    なるほど失礼な言いかたですが障害ある人の目線もあるわけですそれを相互理解するツールがThe Last of Us2なわけです
    そのゲーム内における絶対的指導者のいるウルフと教祖が不在のセラファイトの相互理解とは離れちゃってるそれが今の状況でもあるわけで
    最後に糞みたいな意見すみません
    某レビューであったディーナは魅力が無さすぎるという意見
    ディーナは姉の影響でユダヤ教の信教者なわけです。ユダヤ人はホロコーストを生き残り迫害を受けてきたが生き残ってきた。ディーナはエリーにその事を少しずつ伝えてた「生き残ることが大事だよ」と。それはジョエルのエリーに対する見方と同じ
    このサイトをみてディーナはジョエルの代わりにエリーを観ていたんだと思います。The Last of Us2は俺の中心に完全に射といた作品になってしまいました
    すみませんねここくらいしか吐露するとこなくて

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